まんがチラシ、まんがパンフレット、まんがホームページ〜わかりやすく、楽しくまんがで伝えます!特にBtoCには、マンガが強い! あなたの想いを引き出し・かみくだき、楽しい“まんがチラシ・まんがパンフレット・まんがホームページ”で表現します。その想い、きっと伝える!!
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濃厚なプロフィール

「何のために作るのか?」に、とことんこだわり、
「お客様を損させない」販促マンガ作りを心がけています!

全国対応・広告マンガ家/キタデザイン代表 北出 吉和(きたで よしかず)

基本データ

キタデザイン 代表/まんが販促のプロ

MANGA Advertising Creator
北出 吉和(きたで よしかず)


あだ名キタさん、キタちゃん、キタくん
1977年 3月9日生まれ・巳年・魚座・ 血液型/A型
出身地/石川県加賀市(温泉地帯)
出身校/大聖寺実業高校 デザイン科 →東京デザイナー学院 広告企画専攻 卒業
資格/糸東流空手道 初段(琉球系の伝統空手)
 まったく上達しませんでしたが、粘り勝ちで黒帯です。

趣味関西クリエイターズコミュの運営(共同代表)、釣り

大切にしている事/「信義」…真心をもって約束を守り、相手に対するつとめを果たすこと/大辞泉より
好きなモノ/女房の料理、歴史小説(宮城谷昌光、金庸、北方謙三、池波正太郎、高田郁)

好きなマンガ/ワンピース、ヒナまつり、BLUE GIANT、よつばと、月影ベイベ、さすがの猿飛、みゆき、かくかくしかじか、ながたんと青と、ザ・ファブル、鋼の錬金術師、風魔の小次郎

得意技/加賀(石川)で生まれ大阪に住んでいますが、ネイティブ並の東京弁を使いこなします。加賀弁は1級、大阪弁は3級程度の実力。

一番辛口な女房からの評価

・肯定的に物事を捉えるよね。

・人に親近感を持たせるよね。

・筋が通ってるよね。

・最後までキチンと答えを出すよね。

・グチを言わないよね。

・ある物を活かして物を作るの得意だよね。

・なんでも楽しさを見いだすの得意だよね。

 

との事でございました ^ ^

 

時々、キッズ教室の先生もします
時々、キッズ教室の先生もします

めっちゃ略歴

1977年、雪深い石川県の温泉場に生まれ、忙しい両親よりも祖父母に可愛がられて育つ。
小3の時に交通事故で入院したのをキッカケに漫画に出会い虜に。


以来、勉強そっちのけでマンガ家を目指すも、マンガ家になる事が目的になり、
伝えたい「思い」が何もない事に気づき、一切描かない生活に入る。


その後、広告・雑誌デザイナーとして制作会社に通算10年間勤務し、勢いで独立。
ウリがない自分に焦り、2年間ガムシャラに迷走するも、結局 原点であった「マンガ」にたどり着く。
そしてこれまでの広告制作のスキルを活かし「まんがチラシ」の制作を開始。


「お客様は友達!」を合い言葉に、一業種一地域一社を守りながら、
めったにいない、20年の販促のスキルを持った「販促まんがのプロ」として、

南は沖縄から北はフランスまで約370社以上、地道に顧客の幅を広げ現在に至る。

 

現在のキタデザインが出来るまでの物語

1977年 3月
石川県加賀市出身 北出建設の四代目(候補)長男として生まれる。
「お客さんが喜んでくれる事がなにより」という設計士の父からは、仕事に対する正直で真っ直ぐな姿勢、母からは人なつっこい性格とチャレンジ精神を受け継ぎ、雪深い北陸で祖父母に可愛がられて育つ。

四代目の跡取りという重責にも関わらず、


「絵で食べて行きたい!!!!」と発言。
「絵で飯が食えるもんか!!!!」と父子抗争が勃発。

特に、自分に「夢と希望」を与えてくれたマンガ家に憧れ、少年時代は勉強そっちのけで、ラクガキやお話し作りに明け暮れました。

そして、デザイン科のある高校へ入学 
高校からレンタルビデオショップでアルバイトを始め、オタクがちな少年時代を抜けて、人と触れ合って仕事をする喜びを味わう。


1995年
金沢の建築系専門学校へ インテリアデザイン科入学
実家の建築業を継ぐためイヤイヤ通い中退、
上京資金調達のためアルバイト生活へ。


1997年
上京。上京にいたる経緯は一言ではいいあらわせない。
思春期からの家業への反発、過保護に育つ事の恐れ、マンガ家への憧れ、両親の離婚、家業の倒産危機、自分の力だめし等、いごこちの悪さと未来への希望。
そして、友人と祖父の死を経験し、自分が生かされている事には理由があると感じました。かなり、混沌とした時期でした。
※特に両親の離婚はショックで、アルバムを全て捨ててしまった程です。
友人のばあちゃんが拾ってくれなかったら、この写真もない所でした。

そんな中、初めて父から「好きな事で勝負してこい!」と応援してもらい感動。東京へと送り出してくれたのでした。


家庭が壊れてみて、やっと長かった氷塊が溶けたのです。


1998年
一年間の自分探しフリーター生活を経て、東京デザイナー学院 広告企画科に入学。
学校を選んだ理由は、講師の先生の内容が奥さんの話に終止していて、

デザイナーは幸せな家庭を築けると確信したからです!
※この頃は幸せな家庭に飢えてました。

在学中、友人らとデザインパフォーマンスユニットを組み、デザインフェスタを中心に活動。踊るマハラジャや、光GENJIのパロディパフォーマンスで雑誌やTVの取材を受け、ちょっと天狗になる(笑)。
キラキラした(見た目も)青春の想い出です。

 

蛍DENKI
さぁ、キタデザインはどれだ!?w
雑誌フロムAのインタビュー(左がボクです)
雑誌フロムAのインタビュー(左がボクです)

東京デザイナー学院の授業で、将来つくるデザイン事務所の名前を考えよう!
というものがあり、そこでつけたのが現在の『キタデザイン』です。

2000年

初就職。エディトリアル中心の編集プロダクション。

デザインの基礎を学ぶかと思いきや、先輩が次々に辞め同僚が交通事故で入院。

一人で三人分の仕事をやり遂げ、自信がつく。基本的に同じ作業の繰り返しのため、転職を決意。

勇気がいりました。 常に独立を視野に入れているので、事業の立ち上げにこだわり職探し。

安定的にデザインを受注できる状況を作ろうと思ってました。
---
就職と同時に、個人で『キタデザイン』の名刺を作り、異業種交流会などに参加。
何もない自分に落ち込みながらも、現在につながる人脈の元を築いていきました。

2002年
転職し、新規事業のみの部署へ配属。初めてなのに8人の部下がつく。
宅配レンタルビデオ事業を立ち上げる。が、失敗。3度目の事業転換を期に辞職。 かなり厳しい会社だったので、ここで社会人としての機微を学ぶ。
上司と部下の板挟み、ノルマなど、肉体的・精神的にもあまりにハードで、毎週末には海を見て過ごす。でも、楽しい想い出もたくさんあります。
未来の妻ともここで出会いましたし、チームワークの喜びもありました。

タバコはもう止めました!
タバコはもう止めました!

2004年
これまた、新規事業をやるというので古巣へ戻る。
セールスプロモーションの営業という肩書きで、

イベントの運営や企画書制作、広告代理業務などして暮らす。


同じ所に帰ってみて、仕事は心の持ちようでいくらでも変わる事を知る。
ここで再び、デザイン業務に戻る。
新規事業ばかりやってきた事もあり、会社自体の意図を汲み取る事ができ、

全体から細部まで見ながら仕事をしていたので、重宝されました。

 

ただ、この4年間も常に独立の事を考えてモンモンとしていました。
いざしようと思うと、怖くて
怖くて中々踏み切れませんでした。

2008年
念願の独立。と、同時に結婚。
臆病な自分に嫌気がさし、これまで踏み切れなかった事は今年中に全部やってしまえ!!
と、元旦の初詣でプロポーズ!
新年の初出社で「独立します」とおそるおそる社長に伝えると・・・・
「そうだよな。北出はそうだと思ってた、お互い頑張ろうな!」と気持ちよく送り出してくれました。

恐ろしい程の円満退社で、前職場からも引き続きお仕事は頂けるし、
前職でお付き合いのあった会社さんからも沢山お仕事を頂きました。
正直、独立なんて不安で不安でしょうがなかったので、本当に嬉しかったです。
こんな風に僕も誰かを応援できたらいいなと思いました。

 

先輩に誘われてオフィスシェアから始めたら、なんと場所が日本銀行の横!3年いましたが、居心地の良いオフィスでした☆
先輩に誘われてオフィスシェアから始めたら、なんと場所が日本銀行の横!3年いましたが、居心地の良いオフィスでした☆

2009年
一年間フリーでやってみましたが、もっとお客さんの声を生で感じたい!!

と、メインだった雑誌デザインの仕事を辞めることに。


生活は多少苦しくなりましたが、コミュニケーションデザインの原点に帰り、

マーケティングの勉強をし、ヒアリングを重視した制作スタイルに。
得意なイラストを使った商品の開発に乗り出す。
やっぱりお客さんの顔を思い浮かべながら仕事をするのって、すごく楽しいんです!!

2010年
念願の自社商品として「まんがチラシ」の販売を開始。
立て続けにご依頼を頂き、まんがパンフレットやWEBページなど、一気に幅も広がりました。

2011年
人生最悪の前半。
年明けから私生活で色々あり(ちなみに、家族みんな仲良くやってます)最大の谷底に落ち込む。

そこに大震災。東京も相当揺れました。

もう、人間はいつ死んでもおかしくないという事を体感してしまい、一大決心。
この際だから、一歩でも理想の未来に近づいてみよう。

という思いで、その下地作りとして関西エリアへ進出。
「地方に住みながら、世界中を喜ばす」という目標を立て、全国から受注できる体制に。

2012年
ひょんなことから、それまで参加していた全国的な異業種の会の関西代表に。
これまでの人生で幹事役や世話役などしたこともなく「参加することに意義がある」などと言い放っていた僕でしたが、イベントを企画したり人をつなげたりと裏方に徹するうちに、仕事に関係なく人を応援する喜びに染まっていきました。
色々なしがらみから、関西支部は2年ほどで閉じることになりましたが、ここでの幹事としての経験は今後の自分を作る大きな土台となったと感じています。

2014年
同業の仲間同士で、クリエイター同士の相互補助を目的としたコミュニティ“関西クリエイターズコミュを立ち上げる。

Facebookグループを中心に月に一度の勉強会を開催、会員は480名(2019年現在)を数えるほどになりました。仲間たちとの協業体制や、コミュで知り合った人同士のコラボも多数生まれ、“応援マニア”としては嬉しい限りです☆
また、仲間を増やすことにより、僕に何かあってもお客さまにご迷惑をおかけしない体制作りに挑戦し続けております。

〜現在
現在、首都圏・関西・九州・名古屋エリアを中心に

北は北海道から、南は沖縄まで、 全国の皆さまよりお仕事を頂いておりますが、
ついに海外(フランス)からもご依頼をいただけるようになりました!

今後もますます、マンガ広告で世界中のお客様の役に立てるように精進し、

日本で、また世界で頑張っている皆さんの発展に貢献したいと考えております!